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ナザムに落ちたあたりの話ですが、仲間の一人、クロードの紹介も兼ねています。
彼は仲間の中でもかなりお気に入りなので、この先出番が多くなってくるかもしれません。




イザ←主←仲間の構図が、大好きなんです。


























--------------見えない星










居心地がいいとは言えない。けれど、他に自分の居場所はない。
既に、起き上がる気力もなくしてしまっている。
小さな宿屋の一室で、クロードはベッドに身を沈め、ただ天井を見上げて呆けていた。
宿を取って部屋に入ったとき、そのまま仲間とは別れてしまったが、彼らは今どうしているのだろう。やはり彼らも同じように部屋にいるのか、それとも外に出ているのか。
確かめようかとも思ったが、なんとなく、ここにいなければいけないような、そんな気がした。
「……重いな」
誰にというわけでもなく、ポツリと呟く。
それは身体か、空気か、それとも心か――或いは、その全てかもしれない。


――運が悪かったな、とクロードは思う。

仲間とともに旅をしながら、やっとの思いで全て集めた女神の果実。それを、あろうことかアンジュの師匠に奪い取られてしまい、天の箱舟からも落ちてしまった。それだけならまだしも、自分たちが落ちたのは、このナザム村だ。
よそ者を決して受け入れようとしないこの村にたどり着いたことで、自分の心は、かなり沈んでしまっていた。度重なる悲劇で傷ついた心を癒す術が、今は見つからない。
立ち上がらなければならない、ということは、わかっているのに。

その時、不意にノックの音が響いた。


「……はい」
仲間の誰かだろうか。そう思いながら上体を起こして扉を見ると、入ってきたのは意外な人物だった。
「失礼します」
「ティル……」
ナザム村の住人の中で、唯一自分たちの存在を受け入れてくれた少年。よく考えたら、村人の中で自分から話しかけてくるのはこいつくらいだな、とクロードは心中でぼやいた。
明るく活き活きとした瞳を見せる彼と話すときだけは、少しだけ元気が出るような気がしていた。しかし、その瞳には今、少しの翳りが見えた。
「どうかしたのか?」
「あの……アンジュさんを捜してて、もしかしたら、ここにいるかもって思って。クロードさんは、アンジュさんがどこにいるか知らない?」
「アンジュが? ……いや、俺は知らないな。ずっとここにいたし……サティやメルには聞いたのか?」
「うん、サティさんにもメルさんにもさっき会って聞いてみたんだけど、二人ともわからないって言ってたんだ。もうすぐ日が暮れるし、寄り合いの時間も近いから呼びに行こうと思ってたんだけど、どこにも見つからなくて……」
「寄り合い……そうか、もうそんな時間なのか」
夜になったら、教会で行われる寄り合いに参加するように、と村長に言われていたことを思い出し、窓の外を見ると、もう日が落ちようとしていた。空の色は少しずつ、紫がかってきている。
さすがに彼女が寄り合いのことを忘れている、ということはないだろう。しかし、この時間になっても戻らず、村のどこを捜してもいないというのは――何かあったのだろうか、とほんの少しだけ、不安がよぎった。
「わかった。俺もアンジュを捜してくるよ」
傍らにあった外套を持って立ち上がり、ティルの頭を軽く撫でた。
「教えてくれてありがとな、ティル」
えへへ、とティルは照れくさそうに笑った。
「……サティさんとメルさんもアンジュさんを捜すって言ってたから、ボクも一緒に、もう一度村の中を捜してみるよ。だから、クロードさんは村の外を見てきてくれないかな?」
「わかった。見つかったらすぐに連れてくる」
「お願いね、クロードさん」
小さく礼をして、ティルは部屋を出て行った。

 

日の光が見えなくなり、風も冷たくなってきている。外套を羽織っていても、まだ肌寒く感じた。
クロードは村の外に出て、村を囲む森の中に足を踏み入れた。
村を出る、といっても、あまり遠くには行っていないだろう。ここにたどり着いたばかりの自分たちには土地勘もなく、遠くへ行きすぎたら帰ってこられなくなることも考えられる。アンジュなら、そのことを見落としたりはしないだろう。魔物に出くわす可能性もあるのだ。
森の中は魔物の気配もない。耳に入ってくるのは木々のざわめきの音だけになった。奥へ奥へと歩いていくと、自分の足音がやけに大きく感じた。
静かな森の中をしばらく歩き続けたとき、クロードは、前方から自分のものではない足音が聞こえることに気づいた。
もしかして。確信に近い思いを持って駆け出すと、ぼんやりと見覚えのある後ろ姿が見えてきた。ゆるいウェーブのかかった、桜色の長髪。間違いない。

「……アンジュ!!」

その声にアンジュは歩みを止め、ゆっくりと振り向いた。
「クロード……どうしてここに?」
「どうしてって、お前を捜しにきたんだよ。……もうすぐ夜になる。寄り合いが始まるぞ」
「あ、そうか、ごめんね、心配かけちゃったね。すぐ戻るから」
そう言うと、アンジュはクロードが元きた道を戻り始めた。
みんな心配してる、早く戻るぞ――とクロードは声をかけようとしたが、アンジュとすれ違った瞬間、言葉を失った。


――アンジュは、笑っていた。


とっさに振り向きいてアンジュの方を見る。少しずつ遠ざかっていくその背中が小さく見えたのは、きっと、距離が広がっているからだけではない。
(俺はいったい、あいつの何を見てきたんだ)
その小さな背中に、天使界の全てを背負いながら旅をして、ようやく希望が見えたと思ったら、それを奪われて。
(平気でいられるはずがない。今いちばん辛いのは、あいつなんだ)
今まで何度も何度も、旅先で人々の悲しみに立ち会ってきた。その度に彼女は、傷ついた人々を思って泣いていた。お前は本当に泣き虫だな、とからかわれるほどに。
そんな彼女が、今までしてきたことの全てを否定されるような目に遭って。
(――あいつが、笑えるはずがないんだ!!)


「ちょっと待て!!」
思わず叫んでいた。
ここで何か言わなければ、彼女が二度と泣けなくなるような気がした。だが、次の言葉が見つからない。何を言えばいいのか、わからない。
焦りだけが募る。
アンジュは立ち止まったままだったが、クロードの様子を察してか、振り返らずに重い沈黙を破った。
「心配してくれてありがとう。でも、私は大丈夫――」
「大丈夫って顔じゃないだろ!」
大丈夫だから、と言おうとするのを遮って言い放った。
「……お前のそういう顔を見てる方が、俺は辛い」
アンジュは答えず、ただじっと黙っている。クロードはゆっくりと、言葉を続けた。
「アンジュ。お前の気持ちを、聞かせてくれないか。お前が今辛いと思ってること、苦しいと思ってること――俺じゃ頼りないかもしれないけど、少しでも引き受けさせて欲しい。……このまま一人で抱え込んでたら、お前、すぐ潰されるぞ?」
次の言葉を口にしようとした時、なぜか一瞬、これを言ってはいけないような、何かが変わってしまうような気がした。しかし、今はアンジュのことだけを考えようと振り切った。
「……あの人のこと、考えてたんだろ?」

アンジュはしばらく無言のまま立ちつくしていたが、やがて小さく口を開いた。
「……イザヤールさまは、本当に、優しい人だったの。なのに――」

 

ぽつりぽつりと、アンジュは語り始めた。
天使界での修行の日々のこと。厳しくも優しい、彼の指導のこと。まだ見習いだったときに、ともにウォルロ村を訪れていた時のこと。
そして――アンジュが天使界から落ちたとき、必死に手を伸ばして自分を助けようとしてくれた、ということ。
その時々に、なんで、どうして、という言葉が混じるにつれて、アンジュの声は震え始めていた。
「……でも、私、イザヤールさまを敵だなんて思いたくないよ……今までずっとそばにいてくれた人なのに、ずっと会いたかった人なのに……ずっと、好きだった人なのに!!」
その瞬間、アンジュがはっと息を呑む音が聞こえた。
自分が何を言ったのか、口にして初めて気がついたようだった。アンジュは確かめるように、再び口を開いた。

「……私、イザヤールさまのこと、ずっと好きだったんだ……」

呟くと同時に、アンジュは糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。地面に両膝をついて、項垂れる。

「大好きな人に、裏切られたから……だから、こんなにも苦しかったんだ……」

しばしの沈黙。


そして、

 

 

 


慟哭が、森に響いた。

 

 

 


(……ああ、そうか。俺は……)


本当は、あの時にもう気づいていたのだ。
箱舟の中で再会したときに、アンジュがイザヤールを見た目。あれは、弟子が師匠に向けるものではなかった。
――恋慕の情。
アンジュの苦しみを吐き出させるためには、彼女自身に、その気持ちを自覚させなければならない。しかしそれは、自分の恋を自分で終わらせることと同義だった。
(……情けないな、俺は)
だからこそ、クロードはナザム村に落ちた時からずっと、アンジュから離れていた。傷ついた彼女に寄り添い、イザヤールへの思いを語らせることを、躊躇ったのだ。
けれど今、思い知った。
こんな風に、アンジュを慟哭させられるのは、あの男だけだ。そして、アンジュが再び心から笑えるようにできるのも、あの男だけなのだろう。
もし、相手が自分だったとしても、アンジュはきっと、こんな風に泣いてはくれない。

だとしたら、自分にできることはたった一つだ。


クロードはゆっくりとアンジュに近づき、うずくまる彼女の背中に自分の外套を羽織らせた。
「……あの人が本当に天使界を裏切ったなら、箱舟の中で俺たちを殺していてもおかしくないはずだ」
「……クロード?」
アンジュは振り向いて、泣き腫らした目をクロードに向けた。
「でも、あの人はそうしなかった。だから俺は……あの人が完全に裏切ったとは、思えない。……あくまで推測だけどな」
アンジュの瞳は、驚きと戸惑いを写してはいたが、少しだけ光が点ったのがわかった。まだ、希望はあるのだ。
「だから、アンジュ。お前はあの人のことを信じるべきだと思う。あの人が、天使界を裏切るはずがない。何か理由があるはずだって。……お前にとって、誰よりも大事な人なんだろ? お前が信じてやらなくてどうする」

その気持ちに、嘘はなかった。
だが、こんなことを言わなければならないことが、正直なところ悔しくてしかたがない。
それでも、アンジュが心から笑えるようになるためには、不本意ではあるが、彼女の恋を手助けしてやらなければならないようだ。
本当に自分は彼女には弱いな、とつくづく思う。けれど、仕方がない。
自分は、笑っている彼女が何よりいちばん、好きなのだから。

「真実はまだ、何一つ明らかになっていない。だから、それを知るためにも、俺たちは前に進まなくちゃいけない。……そうだろう?」
「……うん……」
片膝をついて軽く頭を撫でると、ようやくアンジュは、濡れた瞳で小さく微笑んだ。
「やっと笑ったな。……いい顔だ」
「……ありがとう、クロード」
その後、また少しだけアンジュは泣いた。
けれど、決してクロードに縋り付こうとはしなかった。

 

「そろそろ戻ろう。寄り合いに遅れたら、またあの村長がうるさいぞ」
アンジュは頷き、立ち上がって軽く膝に付いた土を落とした。そしてクロードを見上げると、一瞬だけ目を丸くした後、穏やかに笑った。
「どうした?」
「クロードも、いい笑顔になったなって思って。なんだか、意気込んでるって感じだよ」
「……そうかもな。俺にも……新しい目標ができたからな」
「え?」
「いや、何でもない」

あの男ともう一度会って、一発殴らせてもらう。そして、アンジュを泣かせたことを謝らせる。
そのためにも、今は仲間として、アンジュを支えていくと誓おう。
今この手にある希望は、遠い星の光のような、わずかなものかもしれない。だが、今は雲に覆われていても、いつか必ず、星は空に輝く。
見えない星など、ないのだから。

 

心の中で呟いて、空を仰ぐ。

 

 

薄闇の空には、一点の星が輝き始めていた。

 









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ずっと書きたかった話だったんですが、クロードが思いの外動いてくれなくて悩んだ悩んだ。
で、実際書き上げてみると、なんでアンジュはここでクロードに転ばないんだ、と自分で思ってしまいました。
本当はクロードとアンジュをくっつける予定で、最初はキャラ設定をしていたのですが……師匠が……師匠の存在があまりにも……ということで現在の設定に落ち着いてるのです。
今度は復活した師匠とクロードの話とか書いてみたいなあ、とこっそり思ってます。自分設定満載で申し訳ありませんが。



執筆中、「やさしい両手」をエンドレスリピートしてました。とてもどうでもいい話。

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